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2015年04月16日

この子の中に生きている

この子には、たくさんの民族の血が流れている。
日本、アフリカ、スペイン、メキシコ、チリ。
私には想像もできないような土地での暮らし、
そしてさまざまな文化を持ったMIOGGI價錢
数え切れないご先祖たちの叡智が
この子の中に入り交じっている。
「混血の子たちがかわいい顔しとるのは、
人種なんか関係なく好き合うた人たちに、
神様がご褒美をくれたからだで」と、
小さなケンを抱っこしながらそう言い切った、
タネ婆ちゃんのことを思い出す。
タネ婆ちゃんの叡智もまた、
この子の中に生きている。
この子の未来が、この子の澄んだ瞳のように
輝いているといいなあと思うCleen
  


Posted by oldooo at 12:32Comments(0)sd

2015年04月14日

遅いくて

蛇足

今しがた、お化け屋敷・最新版がアップされていたので、のぞきに行った。
で、感想。
上記、分析、ぜんぶ、取り消しますreenex cps 價錢
自分にあるとか、ないとか、無意識とか、潜在意識がどーとか、そんなものは、ぶっ飛び、宙に浮いて、

ただただ、理屈抜きで、この人のテイストが大大大嫌いなだけでした。

半世紀以上生きて、いい年して、お嬢ちゃまぶりっ子、舌ったらずの甘えっ子ぶりっ子、

「ママ、ママっっ、みーちゃんは、お襟におリボンのついた、このお洋服、大好きなのっっ。
お稽古に一緒に来ているお友達は、おみ足が小さいから、みーちゃんより、歩くのが遅いくて、お車回してもらってって言うのっっ美白
でも、みーちゃん、お足が少し痛くても、ひとりで歩けるもんっっ」
(例えば。。。内容はまったく違うが、こういうノリ)
キラりん、きらきら~紐崔萊

ってかんじ、
これをマジメに、自分は上品でお嬢様だと大いに自負して、やっておられる・・・
憧れともヤッカミとも違う、ただただ純正・お化け屋敷である。  


Posted by oldooo at 11:03Comments(0)sd

2015年04月13日

若いときに集中的に

で、話も、きゅい~んとカーブし、

微分積分、漢文、古典、・・・勉強なんか、実生活に何の役にも立たない。
(方程式は、役に立っていると思うが)
日本を出ないかぎり、英語もそう。できなくても困らない。

ただし、仕事としての英語に関しては劉芷欣醫生
英語だけ出来ても、英語のプロや、通訳や翻訳家になるのならいざ知らず、
中身(英語以外の専門)がないと厳しい。


社会に出ると、知識だけでなく、知恵が必要になる。
学問だけでは、どうしようもない。
教授などの専門職が、派閥争いに巻き込まれたりすると、専門分野を生かすこととは程遠い流れ、結果となる。


知恵は、単純なところから生まれることがある。
思いを伝えたくて、複雑でも高度でもなんでもない、単純な繰り返しを積み重ねて、成功する場合もある。

・・・

なんの役にも立たないこともある、学校の勉強であるが、勉強の仕方、脳の使い方を経験する。
それは、経験した人と、していない人とでは、ぜんぜん違う。
脳のトレーニングの一種だ上海旅遊
若いときに集中的に、「やった」と「やらない」とでは、これまた脳の差が大きい。
究極の自分流の方法を考え出す人もいるだろう。

わたしの場合、勉強は、苦手中の苦手で、大嫌いだった。
その不得意中の不得意の分野で、競争させられ、ちょっとやそっとでは克服できない劣等感を植え付けられた。
(単純にいうと、アタマが悪い、ってことなんだけど)  


Posted by oldooo at 11:26Comments(0)sd

2015年04月10日

時間がないというのに

人さまのブログを読んでいて、ふらふらしていたら、持ち時間を大きく切った。
これなら、書かないほうがブログの品質保持のためには良いのだが。
「(誰に見られても恥ずかしくないように)気合を入れてブログをアップしています」と、
ご自分のブログに書いておられるブロガーさんもいらっしゃる。
「(聞かれてもいないのに)自分から自分のプラス要因を言わないほうが、ぜったいにいい」という記事をよく見かけるブログだけに、
自分のことと、ブログネタとは、乖離していると感じる。
わざわざ自分で書かなくても、「誰に見られても恥ずかしくない文章」というのは、読む人が感じるものだから。
が、だれだって、そんなもの。
わたしだって、最たるもの。
自分を棚の上に上げたまま放置している、わたしの上から目線は、死んでも治りません。
「わたしも、そうだから、あなたも、そうよ。」
と言うと、「あんたみないな人といっしょにしないで!」と逆鱗に触れる方もおられる。
なので、そういう方には、「わたしは、たかが知れている低レベルな人間ですが、崇高なあなたは別です」
と、あえて補足説明を加えることにしよう雲芝 靈芝
というわけで、崇高な、高レベルな方は、「誰に読まれても恥ずかしくない」文章を書くのだろうけれど、
わたしは、誰に読まれても、誰にバカにされてもいい、気の抜けた文章を書くわけであります。
・・・
と、前置きをこんなに長く書いてもいいのか?
時間がないというのに。
・・・
見に行ってきたブログは、結婚→離婚→再婚→目下、離活中の女性の日記。
社会人になったあたりのお子さんがおられる。
文章、おもしろい。
内容もまた、おもしろい。  


Posted by oldooo at 11:25Comments(0)sd

2015年03月31日

その表情や言い方

以前、営業で地域を回っていた時のこと。
大阪府下の、町はずれの小さな会社に、飛び込み営業。
社長と奥さん、営業、兼、作業者が2名ほどの小さな会社だ。


飛び込み営業は、勇気がいる。
嫌われ撃沈するのがわかって、飛び込む。
神風特攻隊みたいなものだ。
相撲取り組み前の高見盛みたいに、入る前に、、バシッ、バシッと気合が必要。
叩かれても痛くないように、身体中の筋肉をぎゅっと固く締めて、いざ出陣!!


その小さな会社へは、シャッター横の暗い通りを入って行く。
決して立派とはお世辞にもいえないような、超零細企業。
一通り、我々の仕事のPRをして
「一度お試しに起用してみてください」とお願いした。
社長と営業マンは、まあ、好意的に話に耳を傾けてくれたのだが、
問題は、社長令夫人向日葵纖體美容

あからさまに、うんと上の方から人を見下ろす態度が、ありあり。
「おたくたち、うちとこみたいな小さいところまで、
そうやって、一軒一軒、訪ねてきてるわけ?」
と言われた向日葵纖體美容

その表情や言い方、態度から、
「へぇ~、一軒、一軒、頭下げて、こんな人里離れたところにまで、ドサまわり、
ほぉ~んと、ご苦労なことね。」とうい意味合いを感じた。

さらに、こういうニュアンスも読み取れた。
「こんなウダツの上がらない亭主の会社で、
毎日毎日大した利益にもならないのに振り回され、うんざりしてたけど、
こんな惨めな人々もいるのね向日葵纖體美容投訴
世の中、下には下があるんだ。
私なんか、うんとマシだわぁ。ああ、よかった」

場末の(→失礼でしょうか)、
パサパサに乾ききってしまった潤いのない(→失礼かも、でしょうか)、
品性のかけらもないオバチャン(→失礼、ですね、きっと)から、
哀れみならまだしも、見下(みくだ)され、蔑(さげす)まれた私だった。
  


Posted by oldooo at 16:27Comments(0)sd

2015年03月30日

おばあさんは

前々から思っているのだが、
そう遠くない自宅から、スポーツジムに行くのに、自家用車で行く人がおられるが、なぜだろう?
歩いて行けば、健康的だと思うのだが。
健康を得るために、せっせ、せっせと、マシーンやプールで泳ぐ。
それなら、自宅から徒歩10分~30分ぐらいなら、歩いて行けばいいと思うのだが、私は、おかしい?

車を使わないと、排気ガスも出ないし、限られた地球資源も大切にできるし、一石何鳥にもなるのに。
健康を害している人や、足が悪い人なら、徒歩は無理だろうが、
わざわざお金を払って運動をしに行く人が、なぜ、車で行くのか???
買い物をして帰るから、帰りは、荷物が多くなる?
どこか遠くに、寄り道をする街貨量 牛熊證
時間がない? 
余りある時間はあっても、歩く時間はない?
人には、人の事情。誰にも迷惑もかけていないのだから、余計なお世話?
もっと、もっと、年を取れば、少しはわかるようになるのかも知れないが。
人それぞれ、いろんな価値観があるようだ。


私が、歩いて駅に向かっていたら、後期高齢者年齢ぐらいの女性が二人。
ぺちゃくちゃ話しながら、歩いていた香港如新

「うちのジイサン、腹立つで~。
・・・こんなんやで、ほんま、自分は、棺桶に両足突っ込んでるくせに。
ほんまやで。片足ちゃうで、ほんまに、両足!両足やで。
なに、ゆうてるんや~、思うて、腹立って、腹立って」

おばあさんは、怒りま二按貸款
それを、うん、うん、と聞いている、もう一人のおばあさんも、同じような被害者のよう。
「うちも、うちも」、というノリ、勢い。
脂肪燃焼だけにとどまらず、カッカと燃えながら、歩いていた。
けっこう、いいウサ晴らしになっているようだ。

それに引き換え、おじいさんたちは、結構お気楽。
居酒屋などで耳にする、年配の男性方は、
「うちのバアサンがな、こう言うんや。
こんなこと、してるんや。こういう食事を作るんや」
などなど、家庭内のごく普通の日常、家事などの、明るいご報告会が多い。
あとは、ご自分たちのお遊びの、ご報告会。
家庭内の愚痴をこぼしている人は、あまり見かけない。
ましてや、怒りをぶちまけて、それに、同調している、大盛り上がりの年配男性陣は、見たことがない。
家庭に不満を抱えているのは、女性に多いようだ。  


Posted by oldooo at 16:21Comments(0)sd

2015年03月26日

どっちにしても

今日は週末、ウィークエンドなので、ソプラノ歌手も休業のようだ。
今朝は、静か。
だが、後ろのお宅の雑草が、すごくなってきている。
つるべ取られて、もらい水、というわけではないが、物干し竿に、つるべが巻きつく。
ほっておくと、洗濯物が干せなくなってくる。
例年、この季節になると、つるべの先っちょを、境界にあるフェンスに巻きつけておく。
自分の尻尾をくわえようと、尻尾めがけて、ぐるぐる回る犬のように、
そのうち、つるに、つるがからみつく。
後ろのお宅、はやく、雑草、刈ったほうがいいですよ~。けっこう、伸び放題。
一挙に一気にやろうという算段かも知れないが。
もし、後ろのお宅が家を売却するか、新築するかで、家の位置が変わったら、
うちの洗濯物干しスペースや、庭や居間などの環境が、がらりと変わる。
うちに面している境界部分は、以前、おじいさんの部屋だったようすだが、おじいさんも、ずいぶん前に亡くなり、
あの草ぼうぼう状態を見ると、今は、おそらく物置か何かになっているのだろう。

近隣の住宅事情で、こちらの住まいも一変する。
そのあたりが、家が密集して建っている地域のこわいところである。
今のところ、我々がこの地に越して来て以来、どこの家も住人に変化がない。
トラブルもない鑽石能量水 問題
子供さんが、所帯を持って孫が増え、二世帯住宅になったりする家もある。
マンションだと、30年近く住んでいると、けっこう入れ替わりがあるようだ。
マンションでも、立地の良いところは、古くても今も人気で、
リタイア後、また新たにリフォームしたりして生活を楽しんでおられる人もいる。
といっても、そんな余裕のない人も当然、多い。
いかにして、限られた状況のなかで、生活を楽しむか、である。
趣味仲間で、どう考えても、金銭的ゆとりがないと思われる人がいるのだが、
とてもお金に窮しているようには見えず、
涼しい顔をして、優雅に、自分の時間を楽しみ、生きがいをもって前向きに生きておられる。
どこにお金をかけるか、だろう。
最低必要限度の支出。
何費に、いくらかけるか紐崔萊產品
その費用さえ捻出できれば、あとは、どうにかなるようだ。
だが、急な支出の事態に出くわすと、とたんに、趣味の会に顔を出す機会が減る。
医療費が必要な時期は、健康も失い、お金も失い、同時パンチで、趣味どころではない。
「あの人、見かけないね」「病気らしい」
「あの人、どうしたのかな」「亡くなったらしい」
そうやって、一人消え、二人消え、やがて自分も消えていく。
出来る間に、やりたいことをやっておかないと、という気持ちになる。
「介護で」「孫の子守で」なんて言っているうちは、まだマシだ。
が、お役目も終わり、いざ、自分が楽しむ順番が来たと思ったら、こんどは自分が病気になったりする。
いかに振り回されずに、自分の時間を楽しむか、ということになるが、
なかなか計画通りにはいかない。
隙間を縫って、カーチェイスのように、ひょいひょいと車線変更したりして、臨機応変にコース変更したり、
時には、ががーんと衝突事故があったり。
自分の時間とお金と健康を見ながら、同時に、家族の介護や子育て支援に組み入れられる状態。
スケジュール調整は、突然それぞれの容態が変わったりするので、なかなか固定できない。
独り身の人は、シンプルでいいが、厳しい自己管理が必要となる。
肉体面だけでなく、精神面でも。
どっちにしても、綱渡り。
限りある時間、健康、お金をいかに有効に使うか。
そればかりを真剣に考えすぎて、ストレスを溜めたりすると、本末転倒。
健康オタクみたいなもの。
なので、なるように、なる、とういうことで、
台風が去れば、ひと喜び。
一日の終わりに、おいしいビールが飲めたら、ひと喜び。
ちょっとずつ、小分けにして、喜びをかみ締めるのがよろしいかと。
わたしの場合、ブログ記事をアップすると、ひと喜び。
(止めるんじゃなかったの?)
めでたし、めでたし。  


Posted by oldooo at 16:53Comments(0)sd

2015年03月24日

テレビのニュースを見ると

高校1年のときに、親戚のおばさんに宛てた手紙。
読んで赤面したのは・・・
あれ?
これ、わたし、昨日、書いたの?
ここ、蝶ブログに書いているのと同じこと、同じパターン、同じテイスト。
これに自分でも驚いたわけだ。
昨日の自分は、高校1年の自分と同じだった。
これを進歩がないというのか。
永遠普遍性があるというのか、変わり映えしない、というのか。
子供の頃から、ずっと同じ服を着ているようなものか。
実際には、服の好みは次第に、流行を少し取り入れたり、自分流アレンジをしたり、
母から見ると、まったくどこがいいのか、さっぱりわからないような服もある。
人間の内容も本質は同じだが、少しは苦労をし(他人の説によると、苦労をしていないらしい)
子供の頃とは、多少なりとも違ってきている部分もあると思う。
周りのみなさんがおっしゃる(評価する)わたしが、わたしなのかも知れない。
だとすると、毒吐きは、みなさんが知らないだけで、わたしの一部ではあるけれど、
人物評価のなかには、入っていないかも知れない。
別に、毒やホンネをあえて表面に出す必要はまったくないのだし、
黒いはらわたを自分なりに消化すれば、外側は善良な大人しい一般市民なのであれば、それでもいいかなあと。
しかし、わたしは、大人しい優しい人をアタマから信じていない。
その実例、Aさん。女性。
30年もの長い間、少し離れたところから観察してみると、本質が徐々に現れて、それが見えてくる場合がある。
本人も、その自分の本質に気がついていないだろうと思う。
自分も周りも、優しい従順な人当たりの良い人だと評価していると想像する。
徐々に本人も気づかないうちに変化しているのだろう。
優しい従順な人当たりの良いAさんが、実は人を操っている黒幕の人物であると感じた、
わたしのセンサーこそ、長年のうちに養われたものであることに気づく。
Aさんの毒は、即効性はなく、長い間にじわじわ時間をかけて効果を発揮すると思われる。
Aさんは一生をかけた長期戦向けの、目に見えない、痛みを伴わない武器を持っている。
周りは、その戦法に気づいていないようだ。
わたしとは、遠い遠い関係なので、所詮、人ごとである。
生きていると、いろんなことがある。
わたしも、人に、どう思われているかもわからない。
が、そんなことを考えていては、生きていけない。
他人のために生きているのではなく、自分のために生きている。
テレビのニュースを見ると、国際的に日本も知らん顔が出来ない、恐ろしい雰囲気が漂う。
自分のことを自分で守れるのは、平和だ。
自分のことも自分で守れない、そんな事態が起こらないよう、願うばかりだ。
日本は、平和ボケしていると感じる。
それと同時に、わたしも。
わたしの年齢、世代は、同じ世代の人には共通するものがある。
が、ひとつ世代が上下すると、他人事のような気がしてしまう。
たとえば、40代の人のエッセーのタイトルを見ても、年齢のなせる業、と感じたり、
当時は自分もそういうことに興味があったけれど、今はもう卒業・・・と思ったり。
60代の人は、しっとり、しっくり。落ち着いている。
積み重ねる年齢に、感性や思考、嗜好は反映される。
・・・だとすると、あの高校生のわたしは、どうなる?
年月が経っても、芯の部分は同じってことだ。  


Posted by oldooo at 15:17Comments(0)sd

2015年03月23日

その余裕こそが

わたしは、経済を軸に、ものを考える。
だが、精神、こころがそこにないと、すべて成り立たず、崩壊する。
ヒトの動かないもの、こころのないものは、
ソフトのない、ハコモノだけが残り、無駄に終わり、ハコモノはやがて取り壊される。

ヒトが先で、ニーズが沸き起こり、経済を牽引する場合もある。

愛情、助け合い、暖かい人間性・・・そういうものは、不可欠である。
だが、経済も不可欠である。

・・・

専業主婦に関しても、専業主夫に関しても、兼業主婦に関しても、兼業主夫に関しても、
経済抜きでは、語れない搬屋
適正があろうがなかろうが、働かなければならない事情があれば、働かなければいけない。
理想が言えるのは、余裕があるのだと感じる。
理想は、現実の上に立たなければならないと考える。
現実が、あってこそ。

その余裕こそが、じつは、要蔡加讚
余裕のベースは、ヒトの場合もあるし、経済である場合もある。
家族のメンバーが、それぞれに欠損している部分を補いあって、協力すればよい。
(キレイごとを言い放つだけにして、あとは言及しないで、ほっておく。
各人、どうぞ、ご自分のスタンスで)

・・・

ヒトも経済も、その感じ方、捉え方は、ひとそれぞれである。

・・・

「ひとそれぞれである」と〆る場合は、
はっきりした結論が出ない時と、自分の意見を述べることを放棄した時。

要するに、〆になっていない。
  


Posted by oldooo at 17:37Comments(0)sd

2015年03月20日

どうすればいい

実母が、やいのやいの、体の不調を訴えてくる。
彼女は、行動力も経済力も、腕力もあるが、年相応の脳の老化もけっこう進行している。
生まれつきの、協調性を重んじないキツイ性格もあり、老人性ボケなんだか、自分本位が際立っているのだか、
よくわからないが、思いつくまま、後先考えず、いろいろ行動して、周りを混乱の渦に巻き込んでいる。

勝手にタクシーを飛ばして、病院や、行きたいところに行く・・・が水光針
ちょっと「マトモ」と、「マトモでない」、が同時進行しているので、周囲の人間、とくに身内は非常に困る。
他人さんにも迷惑を及ぼし、火消しに回る羽目になる。
彼女は、人生の大半をお山の大将で過ごしていたせいもあり、世界は自分を中心に動いていると思っている。

目から涙が出て調子が悪い。すぐに受診したい。明日!!
じゃんじゃん、電話がかかる。出られないと、留守番電話にも、わーわーきゃーきゃー。
そんな急に言われても、他府県、片道2時間かかるところに私は住んでいるし、こちらにも都合というものがある。
しかも、先日、あまりにも人気で人が多いからあそこは行きたくないとの意向を汲み、わたしが断った大病院に、再び、受診したいと言う 。
近くの開業医の先生に紹介状を書いてもらい、すべて進行中のものを行ってみて「人が多いから嫌」と、キャンセルしたばかりなのに。
さほど、症状もたいしたことがない、と言っていたのは誰?
症状は、自己申告なので、本人の具合は、まったく外からはわからない。

人の都合など全く考えない護肝
これは、年齢によるものなのか、性格によるものか?

かたや、孫。
自分の思い通りにならないと、
まさに文字通り、地団駄(じだんだ)踏んで、顔を真っ赤にし、目から涙をぼろぼろ、大声の限りで、わめき泣き叫ぶ。
よくある、映画やドラマで見る、どうしようもない子供、そのもの。典型。
子供だから許されるのか? それにしても・・・親の顔が見たい、あのパターン。
アタマのてっぺんに、大音量のヘビメタ音楽が直撃する。
まあ、2歳だから、まだ発展途上、成長の過程のひとつであるが。
(急変する天気のごとく、泣きわめいたことも忘れ、また天使の笑顔になる)
その様子が、孫の母親(=わたしの長女)の2歳の時とそっくり。
ああ、キミもか・・・。
これからが、子育ての正念場に突入か。

長女に、「あなたに、そっくり」と言うと、「「じゃあ、大きくなったら、そうとうお利口になるんやね」と、負けていない。
両親(娘婿と長女)の、孫に対する冷静な対応を見て、
よくアタマにも来ず、余裕ある態度に、デキがよい両親だなあと感心することしかり。

かたや、わたし。
母の大病院・受診に際して、手術がどうのこうのという説明がある。
その説明をまともに理解できるか、不安。
娘を解説員として連れて行こうかしらん。
いや、連れて行くんじゃなくて、連れて行ってもらう?
孫守(まご・もり)をしながら、親守(おや・もり)をしている自分自身を、娘に守(もり)してもらい・・・
子守(こもり)している人は、一人もいない・・・
ワケのわからん母親に、ワケのわからん孫、そこへもってきて、ワケのわからん、わたし。
さらに、(世界で自分が一番偉いと思っている)偉そうな娘。
これ、どうすればいい?  


Posted by oldooo at 12:40Comments(0)sd