時々日本に戻って来ては
昭和30年代から40年の半ば頃には、
単身でアメリカに渡った青年が成功するという、
いわゆる”アメリカンドリーム”を実現したという話が結構あった。
たいてい、日本から貨物船に乗って無一文でアメリカに渡り、皿洗いなどをしながら、
やがては夢を実現するという成功譚。
そのような成功者の一人、アメリカのソース王と言われる吉田潤喜氏も
1968年に単身でアメリカにわたり、
”ソース”を抱え、店頭で面白講釈をしながら呼び込みセールスで売り込み、
その口上が人気を博し、やがて事業を拡大し、
今やソース業界でアメリカにその名が轟くほどになっている。
そのソース瓶には、”テンガロンハットに着物に下駄の男の子”の
トレードマークがついている
香港酒店推荐。
時々日本に戻って来ては、講演依頼を受ける。
京都生まれのせいか、長年のアメリカ生活を感じさせないようなホンネ丸出しの関西弁。
彼の経営哲学はアカデミズムとは対極にあるのか、
あるとき、アメリカのMBA 専攻の学生から
「リスクヘッジは?」と訊かれ、
「アホ!経営は理屈やない。生き物や。人間逃げ道を作ったら必ず逃げる」
と答えている
卓悅化妝水。
リスクヘッジという逃げ道は作らないということらしい。
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